書籍との出会い=人との出会い

帰り際にいつも立ち寄る本屋さん。
小さな本屋さんなので、ビジネス書を扱う書棚は2つに限られる。

今日はそこに、目を惹くタイトルの書籍が平積みされていた。
サイレント・コーリング」(高橋佳子 著 三宝新書)

昨日はなかったので、今日から(今日のみ?)の平積みである。


「サイレント・コーリング?」
何故かはわからないが、なんだか惹かれる。

帯には「新たな人生への扉がここにある」と書かれている。
なんだかよくわからないが、なんとなく手に取って中を読みたくなる。

本に挟み込まれていたアンケートと目録をいったん外してから、
ぱっとページを開いてみる。


現実に痛みを背負っている人たちは、どれほど苦悩し、呻吟していることでしょう。
どれほどの不安と孤独に苛まれていることでしょう。
それは、外から見ただけでは決してわかるものではありません。

何故、こういう内容に真っ先に引き寄せられるのだろう?


さらに、ぱらぱらっとめくって別のページを読んでみる。

人々を大きく動かす原因になったのは、異質に対する嫌悪感です。
人間の中には生物としての本能的な異種嫌悪があるのです。
自分とは異種なものを排斥し、同種同士だけでかたまろうとする傾向があるということです。

この感触。すごくよくわかる。
1+1=2。1.9や2.1は異質だから、抹殺しようとする。
植物や動物の異質感は許せるのに、人間の異質感は真っ先に排斥しようとする。


基盤は人との共通点を探すより、違いを探すほうが得意です。
人との違いを認識し、比較することによって自分を作ってきたからです。
(中略)
自分が優位に立つこと、ナンバーワンになることを求めます。
無意識のうちに、自分以下の存在をつくろうとするのです。
これは人種や階級による差別に満ちた社会がつくられてゆく原因とも結びつく傾きです。

ため息しか出てこない。
ずっと、この方法で比較されて生きてきた。
これは、単純に人間のサガだったのか・・・。


人間の意識は、ものや現実という環境を作り出しますが、
次には現実的になった環境が人間の意識自体に
多大な影響を投げ返してくるという事実です。
意識は環境をつくり、その環境が意識をつくる。

著者の高橋さんは、活版印刷を例に挙げていらっしゃるが、
戦争、原爆、原子力発電だって、同様である。


さっそく購入し、帰りのバスの中で一心不乱に読みふける。
本書と出会ったことで、今後、オノレがどの方向に進めばよいのか、
ますますクリアになっていく。

この感覚は、神田昌典氏の「非常識な成功法則」との出会い以来である。
あの書籍との出会いがあったからこそ、フォトリーディング、マインドマップとつながり、
さらには、大切なメンターへとつながっていった。


たった1つの言葉が、1冊の書物が、1枚の絵が、
そして一人の人との出会いが、私たちの内なる願いの扉を叩き、
その願いの形を露わにし、目標を暗示する。(中略)
まさに、サイレント・コーリングそのものだったのです。

ああ、なるほど。確かに。
本書に出会ったこともまた、自分にとってサイレント・コーリングである。

本書は、1991年に出版された書籍の新書化である。
しかし、1991年の時点では、自分の琴線に触れることはなかった、と思う。
一歩一歩進んできた今だからこそ、本書はズシリと心に響く。


オノレの中の迷いがさらに小さくなっていく。
おかげさまで、自分のミッションをもう一度きちんと確認することができた。

人との出会いは、良き人も悪しき人も、つねに出会うべきして出会っている。

そして、書籍もまた、出会うべきして出会っている。

書籍との出会いは、イコール、人との出会いでもある。
書籍を通して、その著者との対話が始まる。

新月の翌日、重陽の節句に出会うというのも、意味があるのかもしれない。


高橋さん、良書をありがとうございます。
本の感想等は、改めて別ページに書かせていただきます。